Little AngelPretty devil 〜ルイヒル年の差パラレル 番外編

  “初 午”D
 


          




 その昔、神が広大な海の上へ産み落としたとされる瑞穂の国。神世から歳月は流れて時代は平安。大和は日之本をお治めの、今帝がおわす京の都のその場末に、一風変わった術師の青年が住処として住まわっている館がある。元は名のある権門の大邸宅であったらしいが、没落し血統が途絶えてどのくらいになるものか。庭も荒れ果て、屋敷もあちこち隙間だらけという結構な荒廃ぶりだったところへと、ひょこりと現れたそのまま此処に居を構えたは、この若さにして畏れ多くも宮中に“神祗官補佐”として召し抱えられたる、蛭魔妖一という名の御仁。世の中もせいぜい安定しての今時の官吏ともなれば、よほどのことに由緒のある権門の一党であるか、はたまたそういった筋との縁故関係でもない限り、取り立てていただくなんて夢のまた夢。地方の国司(受領)でもいいから役職をと、任官式の“除目
じもく”が行われる新年や秋口が間近になると、有力な貴族のところへ嘆願に訪のう者は引きも切らずだというに。この青年の場合はちょこっとばかり事情が違い、天涯孤独の出自不明という、何とも胡散臭い素性でありながら、今帝ご自身による推挙、言わば“鶴の一声”にて任官されたという変わり種。さすがにその運びへと口を挟むは、それが誰であれ僭越なことなれど、はてさて一体どれほどの技量がある者なやら。役職としての“神祗官”という部署は、どちらかと言えば学問としての神事を司り、国事としての祭祀を執行することが、事実上の“お役目”ではあれど。その実、卜占祈祷・悪霊調伏などなどの知識とそれから、妖しきものをば寄せつけぬための聖なる霊力とやらも、並外れたものを持ち得る血統の家系のみが、代々継いで来た特別な職務。当節、世間を騒がせた魑魅魍魎を、ただの一喝放ちて平伏せしめたとの噂も漏れ聞くが、果たしてその手腕、真実本当に優れているものだろか。第一、あの異様な姿は何たることか。金の髪に金茶の瞳、妖しくも病的に生白い肌の色。ぎすぎすと痩せ細った肢体に、餓鬼の如くに鋭く尖った風貌と来ては、彼こそが邪妖の眷属なのではなかろうかとさえ噂され…と。さても、新参者への難癖つけは、育ちや階級をも選ばぬ、世の習いということだろか。(苦笑) 妖かしの存在、居ると云えば帝の権勢への侮蔑、居らぬと云えば自らの存在理由の放棄となるよな、子供騙しな問答から、果ては…雨を降らせよ、式神様とやらを招けのと、馬脚を現せと言いたげな無理難題をどれほど吹っかけられても平然と、その全てを見事に果たしての涼しいお顔を保てたその結果。彼がどれほど優れているのか、どれほどのこと“只者”ではないのかの証明の場を与えてしまったことになり。そんなこんなの末の今や、面と向かっての謗りなぞ何処の誰に出来ようかという、彼本人が最強の権門とまでの存在と成り上がった今日この頃。

 “ま、周辺からのお声や扱いなんてのは、何がどうでも関係ねぇけどな。”

 所謂“弾劾”にも近い扱いや、それが制覇出来たら今度はそれを逆手にとっての魔性を疑われそうな無理難題を、そういう“裏”への対処なぞ他愛なしとばかりの鮮やかな手際でもって。お貴族様の繰り出す、心底いやらしいあれやこれやの、これまた上をゆく周到さでちょちょいと片付けて。面倒ごとではあったけれど、それらを難儀だとまでは思わなかった彼こそは。負世界からはみ出しし邪妖や魔物、悪霊を封じ、何となれば滅殺成敗出来るだけの、強力で本物の咒を操れる、今時には数少ない“最強格”の陰陽師。だからして。どんなに由緒正しいお家柄の面々であれ、こっちの世界のことなぞろくに知らぬボンボン連中の繰り出す“難題”なぞ高が知れてる。それどころかの最近では…よほどの悪さや毒を振り撒いた過去からの因果応報、何処からともなく襲い来た、恨みや怨嗟の呪縛から、どうかどうか助けて下さいませと。こそこそとお運びになる影さえあるほど。今や当代随一と誰もが認める術師殿だが、

  “………。”

 そんなくっだらないことはどうでもいいとばかり、うっそりと眉間を曇らせて。いつもの広間、炭櫃
すびつの傍らに、今朝からのずっと、脇息へ凭れかかってのぼんやりと、何をするでなく座しておいでだったりし。ご出仕の予定やご自身の術師としての基本である、月極め日極めとなっているご祈祷などなどまでもを全部、意識の外へと押しやってしまうほど。そのお心を占めている、悩ましい事柄がお在りなご様子であり。とはいっても。此処までつらつら並べて来たように、そうそうへこたれたりはしないご気性のお館様なので。
「おやかまさま?」
 とてちてと。広間の奥向き、寝間にと区切ってある几帳の向こうから、いかにも幼い声と共に、板の間を軽やかに叩く足音が立って。
「…おお。起きやったかの。」
 紅葉みたいな小さな手の甲で こしこしと、お眸々を擦りながらやって来たのは、小さな小さな男の子。いかにも幼子のそれらしく、質の細い髪は甘い栗色で。それを高々と一つに束ねて結った頭には、不思議なことに…短めの毛並みをまとわせた、ふかふかで三角のお耳が一対立っており。一丁前に大人のそれと同じ型のを羽織りし 袷
あわせと同系色の、目の詰んだ生地で仕立てた袴の尻からも…ふさふさとしたお尻尾が下がってる。作り物を洒落っ気から下げている訳ではないらしく、寝ぼけ半分だったお眸々がぱっちりとして来るにつれ、お耳はぴょこりと震えたし、お尻尾もふりふりと自在に揺れた。駆けて来たから揺れて見えたというのでない証左には。駆け寄ったお館様にひょいっと抱き上げられて、
「きゃい〜〜〜vv」
 そのお膝へと降ろされた折。座るお尻で踏んずけてしまわぬよう、尻尾の方が勝手に動いてのひょひょいっと、上へと立って避けていたから…推して知るべし、というところかと。
「おやかま様、せーなは?」
 今日はご出仕の日ではないのだろうか、今朝からのずっとを一緒にいて下さるお館様で。昼餉の後のお昼寝も、ここの奥の寝間でと取ったよに、今日の一日はこの広間にて一緒に過ごすようにと構えておいで。それは別に珍しいことではないものの、いつも遊び相手になってくれてる、書生の小さいお兄さんがずっと見当たらないのが、何だかいつもとは違うので。それを気にして、お膝からの肩越し、お館様を見上げて来る坊やであり。
「なんだ、くうは俺よかセナちびの方が好きなのか?」
 葛の葉という名を縮めての くうという呼び名も、もうすっかりと本人と皆へ馴染んでしまい。だが…それにしては、この年頃の幼児にしては。最初にお目見えしてから半年近くが既に経とうというのにも関わらず、いつまでも同じほどの幼さ小ささでいるのがきっと、育児をよく知る者にはちと不思議と映るかも。
“それを言うなら、まだ生後1年経ってはおらぬのだ。むしろ、さすが四肢獣は育ちが早いことよと感心してやって正解というところぞ。”
 それも気になってたんですがね。何でまた“生後間もない”と葉柱さんは判断したんでしょうか。見つかった折に倒れていた母上は、もう こと切れておったそうだから話を聞けた訳じゃあなし。種族だって違うのに、何でまた判ったの?
“乳幼児ってのには、共通の匂いや気配ってのがあるんだよ。例え異種の獣が相手でも、警戒せず、ぞれどころか“おやっ?”と油断し庇護したくなるようにってことで、寸の詰まった愛らしい姿をしていたり、頼りない鳴き声しか出なかったりってな。”
 ははあ、それから判断しての事だって訳ですか。場外の筆者とのお喋りへと意識を逸らしたお館様へ、
「???」
 その小さな肩ごとという勢いで、ひょこりと小首を傾げたくうちゃんへ、
「ああ、すまぬな。喧しい婆の気配を追い払っておったのじゃ。」
(いやん)
 柔らかな髪をわしわしと、擽るように撫でてやると。たちまち“うきゃあ〜〜〜vv”と愛らしいお声ではしゃぐ可愛い子。お膝の上にて よいちょと立ち上がると、向かい合っての座り直して、短い双腕でぎゅうっと抱きついてくるのがまた。ただの甘え以上の何かしら、信頼やら敬愛やらを伝えたくってしょうがないと言わんばかりで何とも愛らしく。
「………。」
 蛭魔のさして大きくはない手のひらでも十分に、覆い尽くせるほど小さな背中をよしよしと撫でてやっていたものが。その視線をふと、大戸を退けての大きく庭へと開いた間口の方へと向けたお館様。


  ――― ふっ、と。くっきりとした瞬きを1つして。


 不意に。こちらを向いての抱っこという態勢でいたくうちゃんを、より深くもぎゅうっと抱きしめる。
「ふにゃ?」
 何かが視野に入っての警戒か? そんな唐突さもなくはなかったと くうが感じたのは、見上げた蛭魔の表情が止まったままだったから。何が見えたんだろうかと身をよじろうとしたが、そんな身動きが判っていように、蛭魔の腕はびくとも動かず。
「おやかま様?」
 いつだって、よほどに危ないこと以外なら くうのしたいようにさせてくれるのに。さっきだって、お膝の上へと立ち上がったの、叱らないでおいでだったのに。くっと力がこもった蛭魔の腕は、葉柱のそれほど頑丈でないにも関わらず、堅くて動かず、まるで枷のようになって くうの動きを引き留めており。しかもしかも、

 「アバレルではナいわ。」

 何だか妙な抑揚にて、諌めるような言いようをする。
「???」
 何かがおかしい。いきなり様子がおかしくなったお館様で。でも、何が何処がおかしいのかが判らないから、それがまた小さな仔ギツネへと混乱を呼ぶ。
「おやかま様?」
 ねえ どうしたの? どっか痛いの? 気遣うような声を出す童の背中を撫でてやりつつ、蛭魔は妙な声を再び上げた。

 「じゅうない?
  ジュうなイ、捕まえたぞ? 乱菊が和子、玉藻様の皇子、捕まエたぞ?」

 きょろりと目玉を剥いての、何処か不審な挙動にて。四方のあちこちを視線でまさぐるように見回す彼であり。そんな視線が触れた一角、弊を提げたる注連縄
しめなわを、少しほどたわませて掛けた柱の陰から、ぼんやりとした影が浮かび上がった。

 「ヨし、でカしたの、きスけ。」

 顔からぬっと現れいでたるは。丈の短い粗末な単衣を腰紐で結い留め、膝下ほどの筒裾の、下馬という下着もどきの下履きをはいた、どこか貧相な男が一人。目元が異様に吊り上がっており、表情乏しく、だが、これでも機嫌はいいらしく。
「まったク、人間というモのは。詰まらぬ知恵ヲつけおって。結界のお陰でなかなか近づき切れなんだモのが、キョウは我らヘの導べ
しるべをようやっと立ておって。」
 はぁあと大仰な溜息を落として見せると、
「だがモウ、遅いわ。話しおうての穏便に、譲り受けよと思うタが、もうモう日は迫り切りだのでナ。」
 どこか芝居がかった言いようをつらつらと並べてのち、
「さてそのまま攫って行こかいの。」
 向かい合う蛭魔へ、いやに馴れ馴れしい口を利いていた謎の男であったのだが、

  「…そうは行かぬ。」

 その蛭魔がくすりと笑い、片手を上げるとぱちりと指を鳴らす。すると…さっきこの男が出て来た柱を境にした外側が、唐突にさぁっと光を失い、
「な…っ!?」
 あれほど開放的だった広間が、不意に降りて来た壁に四方を閉ざされてしまうではないか。一体どのような機巧
からくりが動いたものか、何の物音もないままのこの大仕掛けに急き立てられるようにして、咄嗟に出入り口を睨んだ男だったが。その柱もまた、掛けられてあった注連縄がほろほろと崩れ去り、壁の中へと埋まってしまう。
「弊に鳥居を描いての導べとしたのは、何もお前様らへの気遣いじゃねぇ。狛の狗神様が間違って降りておいでにならねぇようにという、そのためだけの目印さね。」
 元通りの声に戻った蛭魔がくつくつと笑って見せて、
「まんまと入って来て下さったの。両方共を捕らえねば意味がないからと、芝居を打たせてもろうたが、お前の相方は気配を消す習練が足り無さ過ぎるぞ?」
 そうと言い足した彼の背後、ついさっきまでは くうがお昼寝をしていた寝間だった辺りから、ぬっと姿を現したのは、

 「おとと様vv」

 漆黒の直垂
ひたたれに狩袴。袂を革紐にてからげての、胸元へは右だけを肩脱ぎした威おどし衣紋をまといつけたる、略式ながらもなかなかに勇ましい武装をなした。くうにとっての“お魚の君”こと、蟲妖、蜥蜴一門を束ねる惣領様で。その雄々しい肩の上には、やはり御弊を提げた縄にて、胴を腕ごとぐるぐる巻きにされた、見知らぬ男が担ぎ上げられている。さるぐつわまでかまされたそやつを床の上へと降ろして転がし、相棒のほうへと放ってやりつつ、
「あんたら…つか、お前ら、哀れをもよおすほど迂闊だぞ?」
「な…っ。」
 あらためての忠告を、今更ではあるがと口にした葉柱であり。
「こいつに取り憑こうだなどと、よくもまあ大胆なことを構えたの。逆に生気ごと取り込まれるやも知れぬとは考えなんだのか?」
 真顔でそんなとんでもないことを並べた式神様へ、
「…葉柱、後でじっくり反省会な?」
 蛭魔が低い声を出したのは、ままご愛嬌。
(おいおい)冗談口は さておいて。
「さっきもいけしゃあしゃあと並べておったが、たかが人間とやらの張った結界に手を焼いて、三カ月近くも手をこまねいてた程度の無能な奴輩は、一体どこの どどいつだろうなぁ?」
「う…。」
 泣き出しそうな顔になってる相棒の、さるぐつわや緊縛の縄、解いてやりかけていた男の手がギクリと止まる。しかもそこへと畳み掛けたは、
「玉藻たらいう、お前らの“主上
おかみ”からの命だけを真っ当に遂行すりゃあいいもんを。北の方様とやらいう正室の機嫌を取ろうなんてことまで企みやがって。」
 いやに詳細までもを攫った文言だったものだから、
「…っ!」
 今度は二人ともがぎょっとその身をすくめて見せており、
「そんな刺客もどきに何でこの子を渡すと思うかよ。」
 口元こそ嘲笑に歪んでもいるけれど、目許も頬も、細い肩までもが、いつにない等級の激しい怒りによって、尖っての震えているのが葉柱にはようようと判ってしまい、

 “………ほれ見や。”

 日頃、可愛げなくも突っ張って、自分は天涯孤独の身が気楽でいいと嘯
うそぶいては、仲間だ家族だなんてもの、厄介だの迷惑だのと言って憚らぬ奴だのに。可愛いくうを手放すものか、そんな怪しき奴に触れさすものかと、ここまでの仕儀を構えてやった、そうまで怒ってやったのは何処の誰ぞと苦笑が絶えない。そんな彼の見やった先では、
「な…なんでそれをっ。」
 そんな詳細までもを何でまた知っておるものかと、馬鹿正直にもうろたえる不審な男らへ、鼻先での嘲笑をますます深めた蛭魔、
「中の様子が見えんからとて、こっちからも外が見えぬ聞こえぬと思うたか。油断しまくりのお喋りが、全部聞こえておったまでだ。」
「…っ。」
 突き放すようにと言ってやってのそれから、
「まま、それがなくとも、何とはなくの察しはつけておったがの。」
 葉柱との打ち合わせの際に、彼はこうと言っていた。
『どうも何だか、きな臭い種類の、姻戚関係の話かも知れぬ。』
 と。
『考えてもみろ。くうほどの血統の良い和子を連れていた母上だ。人が放った矢くらいで簡単に命を落とすものか?』
 それが乳母だったとしても、ごくごく普通の野狐ならともかく、どうやら天狐に縁のありし存在だってのによ。ただの猟師の鼻先に獲物として迷い出るような愚かしさで、よくもまあまあ、結界を突き抜けてまでの地上へと、無事に下りてこられたもんだと、そういう順番にならねぇか?
『…待てよ。ってことは?』
『くうも もろともか、母上だけなのか。お仲間が狙っての殺生沙汰なのかも知れぬということさね。』
 そうと睨んでいたそれが、まんまと大当たりだった訳で。現に、
「〜〜〜。」
 くうがその身をちぢ込めている。正月に急接近してきたのも、恐らくは こやつらであったに違いなく。はっきりとは覚えていなくとも、母御を殺めた存在を、怖がらないわけがない。
「お主らはせいぜいが神様の遣わしめ。言われたままを伝えるのがお務めの一族だろに、それがどうしてそのような、下らぬ企みを巡らすようになったのだ。人の賢しさが何かしら参考になった試しでもあったのか? どうして人の悪いところばかりを真似る?」
 呆れたと大仰に肩をすくめて見せたれば、
「く…っ。」
 さすがに侮蔑を受けたと感じたか、顔を上げた“じゅうない”と呼ばれし側の男が、その双眸を金に光らせ、

  ――― 吽っ!

 何かしらの念を視線に込めての攻勢、白銀の光弾が一直線に、蛭魔の顔目がけて飛んで来たものの、

 「…っとぉ。」

 二人の狭間へ…それはごくごく自然な歩みの一歩にて割り込んだ、葉柱の胸元へと吸い込まれてのあっと言う間に。結構なそれを孕んでおった、熱量もろとも瞬時に掻き消されており。
「ここでの悪あがきは、するだけ無駄だぜ?」
 ただでさえ歓迎されざる存在のお主らへ、陽の温みも風の波力も、力を恵んではくれぬから、と。にんまり笑って葉柱が告げたその背後から、
「北の方様とやらに言っとけや。この子は渡せん。だからある意味安心して我儘のし放題を続けろよとな。」
 そらと、手を延べた蛭魔が、白いその手を広げた所作に合わせて。彼らの立つ側の背後から、不意に大風が吹き始めた。蛭魔も葉柱も、衣紋の裾こそ揺らしておるが、仁王立ちの姿勢は微塵も揺らがず。だってのに風はぐんぐんと勢いを増し、
「のわぁっ!」
 逆に とうとう立っていられなくなった二人の刺客が、背中からだんっと叩きつけられた堅い壁に、四角い戸口がぱかりと開く。真っ暗な向こうに何があるのか判らぬ空間は、まるで垂直方向への落下をいざなう深い穴のようでもあって。
「わあっ!」
「た、助けてくれっ!」
 無様にもうろたえ、命乞いをする相手へと、蛭魔はその鋭い眼差しをますますのこと尖らせると、それは冷たく言い放つ。
「この子の母上だとて、同じように懇願したのだろうに。いやさ、他にも同じような目に遭わせた者はたんといるのではないのか?」
「…っ。」
 うぐぅと声を詰まらせる彼らへと、
「それを貴様らはどうしたのだ。」
 冷然と言い放って、振り上げた腕をぶんと下ろせば。風はもっと強くなり、戸口にしがみつく彼らをますますの力で吹き飛ばそうとする。
「ひぃぃぃっっ!!」
 情けない悲鳴を上げての必死の形相、しゃにむにもがいていたものが、

  ――― その腕を“後ろから”掴み取られて。

「ひゃあぁぁっっ!!」
 それがまた不意を突かれての驚愕を誘ったか、ますます情けない声を上げた彼らへと、


  《 下がりおろう。》


 少しほど甲高い、誰かの声がかかったのへは、
「…?」
 自分のはためく髪の裾にて頬をしぱしぱとはたかれつつも、葉柱がその精悍そうな目元を眇めたが、
「…。」
 蛭魔の方は黙して動じず。自分の腕の中で大人しく、その身を丸く縮込めている小さなくうを、更にと抱きしめてやるばかり。そんなこちらが眺める先で、

 《 この恥さらしどもが。帰ったら存分に仕置きしてやるからそう思え。》

 特殊な発声なのか、やはりどこか不思議な響きのする声がそうと言い、先の刺客二人をがんじがらめにする腕が、どんっと増えての一斉に戸口を埋めて。そのまま闇の中へと吸い込まれてのち、

 《 そこな陰陽師殿。》

 また別の、今度は落ち着いた響きのする声がして。おもねるではない、だが丁寧な呼びかけをして来たので、
「なんだ。」
 蛭魔が短く応じると、

 《 前触れなしの参上ながら、上がらせていただいてもよろしいか。》

 ごくごく普通の訪ないを思わせる言いようだが、室内はまだ突風吹き荒れる惨状のままだったから。
“豪胆なのか、それともこの程度の目眩しは効かねぇか。”
 くすすと笑い、ぱちりと指を鳴らせば、あれほどの風が瞬く間にも止んでしまい、また、室内も、庭へと向く側は大戸を開けての御簾を下げているばかりで大きく開いた、いつもの広間の状態へとその景色が戻っており。
「???」
 何が起きたか判っていないのは くうだけだ。何のことはない、一種の幻術にて壁に囲まれた密閉空間に見せていただけのこと。彼らが立っていた位置は最初から変わらず、いつもの広間であり、
“まま、多少は結界を巡らせてもあったけれどもな。”
 あの刺客共を逃がさぬ程度に、という代物。そして、あの程度の者ではないからこそ、何事もなかったかのような訪ないの声を掛けて来た相手でもあり、濡れ縁の向こうに端然と立っている誰かさんは、一見すると…この京の都の貴族の誰ぞかというような、直衣姿という衣紋に装備を身につけた、まだまだ若々しき世代だろう男性で。その手前には片膝立てての跪き、頭を垂れて畏まる、青年侍者を控えさせている。

 《 この度は、我らが一門が多大なる迷惑をお掛けした。
   更なる無礼を働かせぬためとそれから、
   その詫びを申し上げにと こうしてまかりこしました。》

 鷹揚尊大ではないが、さりとて卑屈でもない。礼を尽くしての挨拶を延べた男へ向けて、蛭魔はにやっと笑って見せて。

 「まさか、玉藻様とやらが直々においでになろうとはの。」









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 *いよいよの正念場ですが、長くなったので分割です。申し訳ない。